2019年5月28日火曜日

昭和26年03月09日 参議院 法務委員会

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/010/0488/01003090488004a.html

[001]
委員長 鈴木安孝
只今より委員会を開きます。

本日は先般行いました議員派遣中、朝鮮人騒擾事件に関する件につき、派遣議員の報告をお願いいたします。

[002]
自由党 長谷山行毅
神戸その他の地におきまする朝鮮人の集団暴動事件の調査の結果を私から御報告を申上げたいと存じます。

昨年の11月から12月にかけまして、神戸その他関西地方に朝鮮人の集団暴動事件が頻発いたしまして、多数の検挙者を見たのでありまするが、ときあたかも朝鮮におきましては、北鮮軍が中共軍の後援を得まして、頽勢を挽回しまして、韓国軍を南方に圧迫して来たときでありますし、而もこれらの事犯は、財産接収反対とか、或いは公務署の不法侵入、或いは公務執行妨害等、反権闘争的反抗でありますので、時局下かような事犯の実態を調査いたしまして、事件の真相並びにその原因を明らかにし、且つこれに対しましての検察の当否、並びにその警察制度のありかた等を研究し、同時にこの種の事犯に対する予防鎮圧の政策、資料を見出すことは、極めて緊要なことであり、かような調査によって今後の治安維持の確保に資せんとするのが、本調査の目的であったのであります。

そこで当法務委員会におきましては、昨年12月上旬に本国会の劈頭、この朝鮮人騒擾事件を、先に調査承認を得てあります検察、裁判の運営等に関する調査の一環として取上げることの決定を見まして、又院議によって宮城委員、須藤委員、それに私の3議員が実地調査のために現地に派遣さるることになったのであります。以下派遣議員といたしまして、現地において調査いたしましたところを御報告を申上げたいと思います。

調査地は名古屋、大津、京都、神戸の4市で、この4カ所を中心といたしまして、11月中旬から12月中旬に発生いたしました朝鮮人の暴動事件の真相並びにその原因、及びこれが予防鎮圧、検挙のためにとられました地方警察及び検察陣の行動を調査の主眼として調査いたしたのであります。

先ずこの事件の概要を申上げたいと思いまするが、これは時間の関係もありますので、このお手許に差上げてありまする神戸、京都、大津、名古屋における朝鮮人騒擾事件の調査報告書摘録、これをお読み願いまして、これが我々の調査した事実関係でありまするが、更にここに附加えて申上げたいのは、この調査報告に対しまして、私どもが調査したその結果について何か結論的なものをもまとめまして御報告申上げたいと思ったのでありまするが、それに対しまする見解が、委員間に異なるものがありましたので、この摘録には事実だけを書いて御報告した次第でありまして、これに対する見解につきましては、調査委員の各自から申上げて、この委員会において御決定を得たいというふうに相成った次第であります。

そこで私の、この調査についての結論的な見解を申上げたいと存じまするが、先ず本件の実質的な内容であります。これは各事件の形は、大要これに書いてあるような通りでありまして、そのいずれもが或る行政上の措置を求めようとする陳情とか要求をなすための集団示威の行為が阻止せられたために混乱状態を釀し出したごとき外貌を呈しているのでありまするが、これを現地において収集、見聞いたしました諸般の資料に基いて質的に検討いたしますと、以上の各地の事件は、いずれも先ず第1に、大部分は北朝鮮政府支持派に属する、いわゆる北鮮系の朝鮮人からなるところの集団の有機的行動であると思うのであります。即ち団体としての意思と機能とを持っているかのごとくに思われるのであります。

更に第2は、同時再発的と申しますか、則ち11月中旬から約1カ月の間に、この事件を総括的に御覧になるに便利なようにこういう表をお手許に差上げてありまするが、この一覧表にありますように、各地において殆んど形を同じくするような暴動事件が頻発した点であります。事件の起ったときは11月中旬から12月中旬にかけて、即ち朝鮮で北鮮軍が勢いを盛り返して、南鮮軍を朝鮮の南方に圧迫進攻して来たときでありまして、南鮮に接近するところの日本の重大な関心を呼んだ当時であったことが明らかであったのであります。

又第3には、これらの集団行動の態様と申しますか、騒乱の行きかたが、各地の事件の動きに極めて多くの類似点、共通点が見出せる点であります。即ちその共通性の第1は、多数の者の集団が公務署、又は接収建物におきまして、公務員にいろいろな要求を持ち出し、一応の答弁があっても、なお執拗に同一の要求を繰返し、公務員から退去を求められても退去せず、警察官の鎮撫にも耳をかさず、その退去強制に遭うと、怒号したり怒罵、投石、或いは擲る、蹴るというような方法を以て抵抗するというようなやりかたでありまして、これは集団の威力を利用して相手を威迫し、一般の静謐秩序の破壊は勿論それが犯罪を構成をすることも顧みなかった様子が、殆んど各事件に共通して見らるるところであるのであります。更に共通点の第2といたしましては、かかる行動の始終は各行動者が初めから予期し、不退去の罪とか、公務執行妨害する罪、これを集団で敢行したのでありまして、これはまさしく現在の制度に対する暴力革命的色彩を持っておる行為であることが窺えるのであります。更に第3といたしましては、本事件を起した集団中には、教師に引率された小学生或いは中学生等の学童等を含み、学校教育問題外の、例えば11月20日の神戸の長田区役所における生活保護法適用、或いは市民税免除要求、或いは同月の24日長田警察署における全相福の釈放要求などの集団行為においても、それぞれスクラムを組んで、警察自動車の発進を妨害するのだと激しい行動をなしておる有様でありまして、この学童の参加ということも、これは神戸、京都、大津、名古屋の各事件に共通するところであります。而もその学童の行為は、いずれも非常に果敢でありまして、又相当訓練を受けたと思われるような行動に出ておるのであります。第4といたしましては、この異色ある共通点といたしまして、集団行動に参加した者は、大部分が国際共産主義政治の北鮮政府を支持する朝鮮人でありまして、その中には日本共産党員も含まれておって、これらの者が集団行動の指導的地位にあった事実であります。

次にこれらの集団行動の目的でありまするが、何を目的としてなされたものであるかという考察でありまするが、この点につきましては、私の見るところでは、本件の朝鮮人の集団行動は、いずれも南鮮、北鮮を共産世界政府の傘下に統一しようとするところの北鮮軍の暴力革命運動に呼応しまして、民主日本における反共勢力を破砕、撹乱しようとする、いわば北鮮軍の尖兵的役割を演ずることにあったのではないかと思われるのであります。

尤もこの点につきましては、各事件はいずれも生活に困窮しておる朝鮮人が、その生活権擁護のために職安闘争或いは反税闘争等の挙に出たまでのことであって、参加者の中から不退去その他の反則者を、或いは非合法行為者を出すに至ったことも、計画的のものではなくて、或いは警察官の不当な圧迫によって挑発された、或いは陳情要求に熱中した余りに、少々行過ぎて合法の線を逸脱した者もあったが、これは決して行動本来の目的じゃなかったのであるというような見解を、私ども派遣議員に陳情する者もあったのであります。

併しながら、例えば名古屋、守山事件のごとく、接収建物内に多数の接収反対者が、”我々の会館を死守せよ”というスローガンの下に、或いはマイクを具えていろいろ接収反対のアジ演説をしたり、門を閉ざして中に立籠り、接収に対する実力抗争を事前から準備し、又神戸の長田区役所事件或いは名古屋県庁事件において見るように、砂利とか目潰し用の唐がらし、これは砂をまぜた唐がらしでありまするが、或いは手ごろの梶棍棒を携行して警察官の実力行使に備えたというような1、2の例から見ましても、この騒乱事件の結果は、予見された事柄、則ち実力による接収、又は退去強制に対しては砂利とか石、煉瓦等、或いは目潰し用の唐がらしを投げたり棍棒で殴ったりしてこれに抵抗しようという計画を以て、その通り実行したものであって、騒乱の結果は決して偶発的なものではなくて、当初からの計画に基いておったことは明らかに見らるるのであります。又更にこれらのことを裏付けるものとしましては、各騒乱のこの参加者は、地元以外の他の地域から動員された者が極めて多いのであります。11月27日の神戸事件では、検挙者が193名あるのでありまするが、そのうち神戸在住者というのは34名に過ぎないので、他の159名という者は他の地区から参じた者で、遠く岡山県からも来ておるのがあるのであります。又12月1日の大津事件の検挙者は42名でありまするが、そのうち地元の者は16名で、他は県下の各地から来た者である。かような点等を考察する場合に、これは当初からの計画に基いた暴動行為でなかったか。そしてかかる暴動行為の非合法の行為の目的が、単に生活権擁護のためにする運動にあったと見ることは、到底理解できないのであります。

次にこれらの事件の指導系統と申しますか、さような点についての私の見解を申上げたいと思うのであります。結局本件の集団行為の態様がすべて反権闘争的である。組成分子の多くが、世界共産主義の北朝鮮政府支持者乃至その同調者である旧朝鮮連盟派の者である。又その高唱放吟するところの革命歌があり、或いは「資本主義の犬奴3年後には人民裁判にかけて殺してやる」などと、警備の警察官等に怒鳴っておるのでありまして、又神戸において9月15日には地下工作隊の一斉検挙があったのでありまするが、この地下工作隊の革命運動の方法等についてはいろいろの点があるのでありまして、この点を申上げたいと思いますが、これはこの特別工作隊というのは、一昨年の9月に民主青年同盟が解散せられまして、左翼系の朝鮮青年たちの活動が一時停頓の状態に陥っておりましたが、これに代るべきところの組織の急速の改変強化を急いでおったのであります。ところが昨年6月25日を境といたしまして、あの朝鮮事変が勃発いたしましてから、在日の朝鮮青年の反帝闘争にも大きな影響を与えまして、運動方針の尖鋭化に拍車をかけたことは、従来のこれらの青年の行動から見て明らかに認めらるるところであります。特に”武器の輸送拒否”或いは”帝国主義者の内戦干渉に絶対反対する”等の闘争スローガンは、これは共産党の提唱と相待って共同闘争の好機を釀成した観があるのであります。そして神戸兵庫県下におきましては、昨年の7月に宝塚、或いは明石、有馬、加印等に、この地方に4つの支部を結成して、兵庫県朝鮮青年戦線委員会と称するものを作り上げ、引続いて各地区の組織拡張に努めた結果、9月15日に工作隊の一斉検挙に至るまでには、東神戸、西神戸を中心とする県下各地に18カ所の支部結成に成功しておったのであります。そうしてこの工作隊の訓練が、この各支部組織を活用しまして、指令を迅速に徹底せしめ、工作活動の基本的な基盤となっておったということは、最も注目を要する点であるのであります。

更にこの工作隊の目的でありまするが、これは従来の宣伝啓蒙運動の域を脱しなかった活動方針を急転回いたしまして、祖国の危機に直結する在日鮮人の緊急任務を遂行しなければならないという檄を全国に発しまして、その1つとしては、各地域的に拠点を明確に定め、その拠点を中心にして集中的、執拗な工作宣伝を続行すること、2として、各拠点、これは重要工場、鉄道、船舶等でありまするが、これらの経営を中心に、これに対する特別対策委員等を設置いたしまして、特別工作隊の活動を容易ならしめること、3として、これらの活動は広く日本人大衆及び日本人労働組合組織員に滲透せしめ、協力を得ること。4といたしまして、以上の工作を主観的な満足で足ることなく、各労組の日常闘争に結びつけて、経済闘争を通じた政治的闘争に高めることに留意すること等の基本方針の下に、当面の任務を遂行するためには全国的な工作活動を展開するよう意図していたことは、これは工作隊一斉検挙の際に押収された、祖国解放戦争と在日朝鮮青年の当面する緊急任務と題する証拠書類によって明らかにされているのであります。

更にこの工作隊の形態でありますが、この工作隊の基本的構成形態としては、1つとして既存の青年大衆団体、例えば青年会、朝鮮青年戦線等の組織を活用して、地方の状況に応じ、県、地域別に当面の工作拠点を目標として、工作実習を通じ訓練を行うこととし、訓練生の訓練終了と共に後続訓練生を入所せしむるよう努力し、大衆組織に対する訓練の必要性を徹底せしむることにより、年齢30歳未満の青年は、進んで参加することを義務とするまでに向上せしむる。3として、右訓練を続行することによって、大衆組織員が工作隊の訓練を一通り完了し、事態に即応して随所に工作活動を展開でき得る対策を講ずることを究極の目的とすること等の指導方針を決定いたしまして、兵庫県におきましては8月10日より訓練に着手したのであります。そうして8月10日から10日間を第1期と定めて、これを西神戸朝鮮人小学校で行い、8月20日から27日までを第2期として東神戸朝鮮人小学校で行い、又28日から9月の3日まで第3期生の訓練期間として、その訓練を実施したのでありまするが、第1期生が10名、第2期生が15名、第3期生が22名、計47名の訓練を終了して、更に第4期の訓練に着手しておったのであります。そうしてこれらの工作実習中及び訓練終了後に反戦ビラを撒布して、神戸市内だけでも8カ所に約1万5000~6000のさようなビラを撒布した。現行犯として検挙せられた者が28名に上っておるのであります。更にこの構成を見ますると、一斉検挙の際に、工作隊員名簿並びにその編成表というものが押収されておりますが、これによりますれば、姫路、明石、赤穂、尼崎、伊丹等の県下の各地から訓練に参集しておりまして、第3期生の訓練終了と同時に、前から終了しておる者を合しまして中隊を編成し、更に今度は中隊を分けまして小隊、班等を編成して、各班2名乃至3名を基準単位として、8月の中旬頃から連日のごとく各所にビラ活動或いは家庭訪問等を行なっていた模様のごとくでありまして、県下の工作拠点は、神戸港湾労働者、川崎造船、神戸製鋼をはじめ、阪神の重要工場に至る各施設を網羅しておったのであります。而うしてこれらの工作隊員のうち9名の者は、11月27日の神戸事件で検挙されておるのでありまして、これらの点を見ましても、彼らがこの種の暴動事件の指導的役割を演じておったことが推測され得るのであります。

更にこの工作隊と関連した問題として、昨年の9月9日に東神戸小学校の一斉検索を実施した際に、共産党の415号という指令が押収されておるが、これは党の中央指導部よりの府県委宛の指令でありまするが、これには朝鮮問題は日本革命の主要な一環であるから、本件をる朝鮮人の活動には、各組織においてあらゆる協力をせねばならないと同時に、朝鮮人自身も独善的闘争に陥ることなく、日共の指導下に活動する基本線を速かに決定して、一致した闘争に起ち上らねばならないという内容のことが記載されてあるのであります。これらによっても推測されるように、朝鮮人の急進分子の焦燥感による破壊行動が、この日共の指導部と合体いたしまして、明石、神戸、或いは尼崎等の各所に転々と移動して、秘密裡に訓練を続行しておったような模様でありまして、これらの工作隊員という者は、今回の集団陳情、騒擾等にはいろいろのところに、時と更に所の如何を問わず、目標に向って参集して、常に戦端を発しておったことが推測されるのであります。

かような事情と当時の社会情勢を考え合わせますとき、これらの集団行動のあった昨年の11月、12月の頃は、民主主義国家群と共産主義国家群との冷戦の酣(たけなわ)であり、その国際外交もしばしば危局に立って、いつ砲火の戦に突入するかも知れないという情勢の下に、国際共産主義の北朝鮮政府軍が、反共民主主義の大韓国をその治下に統一するため、中共軍の援けを得て、武力によって再び38度線を越えて南鮮に侵攻していたときでもあり、又日本共産党の幹部員の8氏が地下に潜入、長きに亘って消息が明らかにされないために、いろいろの何らかの牽連がないか、何か政治的な変革を企図する策謀があったのじゃないかというような不安が流れており、又他面におきましては警察予備隊は、まだ幹部員の任命もなく、隊員の訓練も緒につかないという有様で、これらに敗戦下の窮乏生活から来るところの不安感とか焦燥感も手伝って、端的に申上げますれば、人心がかなり動揺しておった時期でありまするが、かような情勢下に多数の北鮮系の朝鮮人の集団行動が行われたこと、並びに各事件に共産党党員、又はその同調者も参加しており、殊に集団行動を使嗾し、卒先助勢したものとして検挙せられた者にこれらが多かったことなどを総合して考える場合に、本件において調査の対象といたしました事件は、暴力革命の前哨戦としての権力闘争的な目的を持ったものではなかったかと見られる点が極めて濃厚なのであります。これを単に生活権擁護の目的でやった集団示威運動に過ぎないものと見ることは、実情に沿わぬ無理な見解ではないかと思われるのであります。これらの事件を通じて、その性格に対する私の見解を結論的に申上げますれば、本件の集団行動が以上申上げました通りの実質内容を持っておることから推しまして、本件事件の性格は、要するに民主資本主義政治に反対してこれを共産主義化せんとする暴力革命闘争の色彩が極めて濃厚であると断ぜざるを得ないのであります。而もこれら一連の暴動事件は、朝鮮動乱における戦況の推移と相呼応する様相を果しておったと言わざるを得ないと思うのであります。

本件の結論は今後当委員会の決するところに待つわけでありますが、最後に私は現地において見聞したところから感じましたところを申上げますと、共産主義の政治は、民主主義国である日本におきましては、性質上実施することを得ないのでありますが、本件の事件においては、行動に参加した者の大部分は朝鮮人であるとはいいながら、相当の同調者を得て、政治闘争を展開し得た事実に対しましては、各種の考察がなされるものと思われるのであります。ただ私はここでは1、2の項目を指摘して御参考に供したいと思うのであります。その第1は、この種の政治闘争は、2つの思想の世界的な対立抗争の一環でありますから、これが対策は、2つの思想の調和の上にこれを求めるか、或いは共産政治を否定する方向に求めなければならん必然にあるのではないかという点であります。第2は、本件は朝鮮人によってなされたことであるが故に、特に朝鮮人対策が考えられなければならんことであります。現在日本在住の朝鮮人は約60万おるのでありまするが、その大部分は、国内の平和と秩序ある生活を希望して、日本にとどまった人たちであろうと思われるのでありますが、一部の不良分子の破壊行動は、日本の治安に有害であるのみならず、朝鮮人一般に対する日本人の感情を悪化して、善良なる朝鮮人に非常に大きな迷惑を及ぼしておると思われるのであります。かような点から考えましても、これに対する適切な対策を立てる必要があろうと考えられるのであります。

本件のような集団行為を今後防遏する方法は、法の許容する範囲におきまして、第三国人の権益を害することなき行政措置を講じて、いやしくも不当な待遇をなすことのないように留意すべきは言うまでもないことではありまするが、政治革命の手段として非合法の行動をなす者に備えるためには、治安維持のためにする警察の制度、施設の整備、充実が喫緊事であり、又特別の行政措置として、外国人登録令による本国送還の手続を、時期を失うことなく励行することが有効適切であるのではないかと思われます。この本国送還の措置は、日本人の人口、資源、政治、経済上の現状から見ましても、又騒擾事件のごとく、少数の指導者の煽動、指令によって釀し出される集団の反法行為は、これらの指導者を去れば、発生の源がなくなるという見地からいたしましても、得るところの効果が極めて大きいものと思われるのであります。なお思想の自由を名として、その宣伝のためにする手段の非合法を正当化しようとする考え方は、国法上許されんところでありますから、違法の行為をなす者に対しましては警察、検察の職にある人々の、法の運営は飽くまでも厳正なることを要し、その意味では第三国人と区別すべきではないのでありまするが、事情に慣れぬ人々に対しましては、特に事理の理解を容易ならしめるために、細心な注意と誠実な応接態度が必要であり、誤解や無理解から生ずる紛争を避けることを特に心掛けるべきであると思うのであります。以上を以て私の報告並びにこの事件に関する私の見解を申上げた次第であります。

[003]
日本共産党 須藤五郎
朝鮮人の問題につきまして長谷山委員、宮城委員、私と3人が名古屋から神戸のほうに調査に参りまして、その結果、1つの意見がまとまれば、それに越したことはないと思って参りましたが、3人が3様の、3通りの意見が出まして、1つの意見が出せなかったということは非常に残念なことだと思うのです。この1つの同じ問題をつかまえて1つの意見が出なかったということが、即ちこの事件の非常な複雑な点だろうと思います。私は今同僚長谷山さんの話を伺っておりまして、長谷山検事の論告を聞いておるような気がしましたのですが、今度は私が須藤弁護士のような立場をすることになると思いますが、一つお聞き願いたいと思うのです。それは只今長谷山さんのおっしゃったことに一々私は反駁をして、討論をしようという意思は毛頭持っておりませんが、これに関しまして私の所信を述べたいと思います。従って長谷山さんの意見と大分違ったところは出るとは思いますが、御了承願いたいと思うのです。

今長谷山さんの話を伺っておりますと、大体検察庁側、又市警側の調査した資料によって長谷山さんの意見が組立てられておると思うのです。その被告側と言いますか、朝鮮人側、弾圧を受けた側の意見が少しも採択されてなかったということが、一つ私は残念に思う点であり、又今裁判が続行中であり、検察庁側のはっきりした意見もまだ確定されていない今日の段階におきまして、検察庁側の意見を主として採択されたということに対しましては、私は非常に遺憾に存ずるものなんです。私は今度の事件を率直に申しますと、長谷山さんの先ほどの、この事件の起りはやはり朝鮮人の生活の問題だと、それが起りのように長谷山さんもおっしゃったと思いますが、私は徹頭徹尾、これは朝鮮人諸君の生活の問題だと、そういうふうに考えるのです。そうして我々は、この調査に出ました目的をいろいろずっと書いて見ますと、今度の事件が騒擾罪という性質のものかどうか、単なる公務執行妨害か、或いは騒擾罪とすべきそういう性質のものであるかどうかということの認定をすること、それから今度のことが計画的に準備されてやられたものかどうか、突発的に、偶発的に起ったものかどうかという点、それから今度の名古屋から神戸までの、あの名古屋、大津、京都、神戸と、そこに起った4つの事件が、統一した組織の指導によってなされたことかどうかという点、それから皆さんが最も関心を持たれた点は、この事件が共産党の指導によってなされたかどうかというこの4つの点でなかったかと思うのです。それで私はこの4つの点から少し私の意見を申述べたいと思うのです。

第1の騒擾罪に適したことがあるかどうかと申しますと、私たちは、調査しました名古屋、大津、京都、神戸の4つの都市の検察庁におきましても、名古屋は単なる公務執行妨害だと、そういうことを検事長初め検事正も私たちに言っておるのであります。ですから名古屋の問題は単なる建物の接収に始ったことで、これは公務執行妨害に過ぎないということを検察庁でも言っておりますが、大津の検事正は、まあ騒擾罪というような言葉を使っておるようですが、併しそれも余り強く表現しておらないのです。それから京都におきましては、これは全然問題にしてない、私たちが京都に参りまして、調査に来たということで行って見ますと、京都には全然朝鮮人の事件はありませんよというような返事なんです。何を調査にいらっしゃいましたかと、そういう態度で京都の検察庁なり市警は我々に臨んだのであります。この言葉で大体京都のことは御了解願えると思うのです。ただ騒擾罪として強く取上げようとしておるのは神戸だけだったと、そういうふうに私は思います。

それから第2の、これが計画的に準備されたものであるかどうかという点なのでありますが、その一つの理由として、長谷山議員は、同じ形で今度の問題が出て来ておるという点を強く主張をしていらしゃるようでありますが、私はそうは思わないのであります。問題は同じ形で現われていた、その最大の原因は何かと言いますと、名古屋から京都、恐らくこれは日本にいる朝鮮人諸君全般の生活の実態が同じであるという点にあると思うのです。どこでも貧しい人たちが若しも要求するとなれば、年末闘争はどこでも起ります。これは日本の労働組合でも、年末になればどこの組合でも生活擁護の立場から越冬資金を要求する運動は起って来るのであります。朝鮮人の生活は、戦後からだんだん苦しくなって、今はもう非常な苦しい立場に置かれておるのであります。その朝鮮人の生活が如何に苦しいかという例はたくさん我々の、ところに訴えられて来ておりますし、又調査に参りました私たちが、直接向うで話も聞いております。それはこの調査報告書の中にちゃんと収められておりますから、私が今短い時間でくどくどと申上げる必要はないと思いますから、御覧を願いたいと思うのでありますが、一つの例をとりますと、戦前、戦争中から戦後350ほどのゴムの工場が神戸にはあったのです。これは朝鮮人はゴム工業を主としてやつていたのでありますが、最近は大きな資本に圧倒されて、ゴムの値上りやいろいろのことで、だんだんと工場が潰れて、現在は約30ほどしか残っていない。失業者はどんどんと殖えている。それでまだ写真の材料もありますから、朝鮮人の生活の悲惨な写真なども持って来ておりますから、どうぞあとで御覧下さいましたら、よくわかって頂けると思うのでありますが、日本人は終戦後ちゃんと工場に入って働くことができたのでありますが、戦争中強制労働を強いられて、朝鮮から否応なしに日本に引張って来られた朝鮮人が、終戦と同時に工場から放っぽり出されてしまった。そうして朝鮮人であるがために工場で働くことができなくなった。そうしてしょうことなしにかつぎ屋をやったり、又密造酒を作ったり、ああいう心にもないことをやって、細々として皆生活を立てていたのでありますが、これもなかなか困難になって来た。それから昨年までは朝連というような大きな組織がありまして、その組織の方によりまして相互扶助的なことがなされていたのでありまするが、これも解散をさせられてしまったためにそういうことが困難になった。あらゆる点から日本人以上に朝鮮人は今生活が苦しくなっておるのです。その苦しくなっておる、生活の苦しい朝鮮人諸君が、日本各地で同じような年末的な要求をするということは、これは当然だと思うのです。又生活保護法の適用を求めて、各都市で朝鮮人が官庁を訪問するということも、これも当然のことだと思うのです。そういうことが結局スムースに官庁側から受入れられないためにそこで軋轢が起って来た、それが同じ形で現われて来た。そういうふうに私は考えるのであります。同一形態で現われたという根拠は、私はそこにあると思うのであります。

昭和年代に日本に曽て米騒動が起ったと思うのであります。あれは一挙に1升の米が50銭になった、そういうことで日本各地に米騒動が起った。富山に起って、東京に起って、大阪、兵庫と、ずっと燎原の火のごとく日本全国にそれが拡まってしまった。あれは何も統一した組織の下にああいうことが起ったのではない。而もあの当時は、共産党はまだ日本にはありませんでした。共産党がなくても、そういう状態が国民の中に、生活として起って来れば、人民というものは皆立上って来るものなのです。そうしてその立上りかたは、生活状態が同じならば同じ形を以て起って来るのが、これが人民の姿なんです。その姿を忘れて、同じ形が来たから、これは一つの統一した指導の下に、又組織の下に起ったというふうに断ずることは、私は賛成できないのであります。

それから共産党の指導ということがよく言われておるのでありますが、衆議院の調査団は、東京を出発するときに、もうすでに何か結論を持って調査に出られたような感じがしたのでありますが、共産党は決して今度の朝鮮人の問題に対しまして指導はしていないのであります。私は共産党員でありますが、まだ共産党があれを指導したということを聞いておりません。ただ共産党は常に社会の現象に対しましては深甚の注意を払っておるのであります。そうして常に人民の立場に立って、弱い者の立場に立って戦うのが、これが共産党の使命だと思っております。ですからどういう場合にも、どういう所にでも人民の闘争が起れば、共産党はそこへ参りまして、その闘争を援助し、激励するということはあり得ることと思いますが、決してこの社会に現われて来るすべての闘争が、共産党の指導によってなされているというふうに考えられることも、これも早計だと存じます。私が今まで述べましたことで、大体今度の事件の起った原因なり、その背後関係ということに関しましては御了解が願えると思うのであります。

それから朝鮮人諸君の立場に立って皆さんに一応考えて頂きたいと思いますことは、これは曽て日本の植民地であった朝鮮の諸君も、今日におきましては立派な独立国として、彼たちは誇を持っているという点であります。ところがその朝鮮人諸君に対しまして、今日我々がやはり戦前のごとく、戦争中のごとく、相も変らず植民地朝鮮としての気持がまだ我々の心の中から完全に抜け切っていないということであります。ですから我々は、朝鮮人諸君のやることなすことに対しまして、朝鮮人という、やはり人種的な、民族的な偏見を以て眺めることがあるのではないだろうか。その点も我々はよく反省して、朝鮮人諸君のやることを見てやって上げて頂きたいと思うのであります。この朝鮮人が独立国になって、そうして民族的な誇を持ったときに、今度の学校問題などは非常に大きな問題となって出て来るわけなのであります。独立国の人民であれば、必らず自分の国の国語で、そうして自分たちの自主性の下に子弟の教育、即ち将来の朝鮮を背負って立つ国民を教育したいという気持を持つことは、これは私は独立国民としては当然のことではなかろうかと思うのであります。日本人が今ブラジルに行って、サンパウロに30万の日本人がいる。そのサンパウロにおきまして、日本人がやはり日本人の学校を持つことを主張しているのであります。日本語の新聞を発行し、日本語で教育する学校を持ちたいと言って主張しております。ところがそれがあちらでは許されないために軋轢がよく起るのであります。我々が遠くここに離れておりまして、ブラジルにいる日本人諸君が、そういう気持を持つことが間違っているかどうか、やはりブラジルにおる日本人が、自分たちの子供を将来又日本に帰したいと思うときに、日本語で、日本人としての文化を教育する学校を持ちたいということは、私は無理のないことではなかろうかと思うのであります。ですからブラジルにおる、又サンラランシスコなりカリフォルニア州にいる我々の同胞のことを考えて、この朝鮮の学校問題も皆さんの良識に訴えたいと思うのであります。朝鮮語で朝鮮の文化を教育する学校を持ちたいと、これは当然のことだと思うのです。ところがそれが許されないというところに朝鮮人の学校問題の常に起る原因だと思うのであります。神戸では一昨年そのために大きな問題が起りました。その後神戸の学校は、便宜的にやはりあの東神、西神という2つの学校が認められて、そうして神戸市の保護によってその学校が経営されて来た。それが学校の敷地の問題、受継ぎ問題、又それに対する弁償の問題や、いろいろなことが未解決のまま今日までこんがらかって来て、そうしてそのために朝鮮人の学校の先生たちが非常に生活に困っている。1人の先生が7~8万円も月給の未払が残ってしまう。そうして先生たちは生活に困って、子供たちが家から一握りずつ米を持って来て、その米を炊いて喰べることによって学校の教育を続けているという、こういう悲惨なことが続いていたわけなんです。そこに今度の神戸の学校問題を主とした今度の神戸の問題が起っておる。ですから神戸の問題は、生活保護法の適用を受けに来た、それが素直にうまくやってもらえないためにあそこまで大きく発展した。それから今申した学校の問題、この2つが原因となって今度の事件が起っているのであります。

生活保護法の問題に関しまして、私は問題の中心であった長田区の区長さんに実は私は会って参りました。私たち3人が参りましたときは、区長がいなくて、庶務係のかたに会ったんですが、私はあとから参りまして区長に会いました。私はこの区長の言ったことをそのまま写して参りまして、これを調査報告の中へ実は入れて頂きたいと思いましたが、私1人が参ったために実はこの中に入れられないということで、参考として述べることになりましたので、私はここでその区長との話合いを述べて皆さんに聞いて頂きたいと思うのです。そうして必要があれば一つ区長さんを証人としてここの委員会に喚問して頂きたい。そういうふうに私は希望するものであります。

先ず今度の起りは17日から起っているのであります。11月の17日です。そうしてその17日に朝鮮人諸君が12~13名、区長は12~13名来たと言っておりましたが、係の者は20名ほど来たと言っておりますが、その12~13名が区長に面会を申込んで参りました。要件は、税金を負けて欲しいということ、それから納税組合を作ってこの税金問題を解決したいから、納税組合を結成したいということ、又生活の実情を調査して欲しい、こういうことを歎願に行ったのであります。そして区長はこれに対しまして同意を与え、調査をしようと言ったところが、それではこれまで溜っているところの延滞料、税金を納めないために溜った延滞料を負けてもらえないだろうかという話が出ましたので、延滞料の話を今日出されては困る、そういうことを出すならば、この話は白紙にしなければならん、そういうことを返事したと言っておるのであります。併しその前にした申告の再調査をしよう、そして又、その再調査するために必要な資料を出して欲しいということを区長は述べております。それから税務課長のほうへ話をして置くから、そちらで相談をするようにと言って、その日は穏やかに朝鮮人諸君は帰っておるのであります。

それから20日の日に、今度は17日に行った人々と違った人たちが80人ほど参ったそうであります。そのときの要求は、生活保護法を即時適用して欲しい、それから市民税を減免して欲しい、それから今日喰べるパンにも我々は事を欠いておるから、パンを与えて欲しい、そういう要求を持って行ったそうであります。で、区長は、それでは80人も会うのは困るから、お前たちの中から数名の代表を出したらどうだということを言ったら、我々は皆が殆んど代表者として来ているのだから、我々個々の話を聞いて欲しいという要求があった、それで交渉のために区長は室に閉じ込められた。併し暴言は吐いたが、その日は何ら暴行はされなかった。そして係員が、常々必要なときには警察に連絡をするようにと係に言ってあったので、自分は警察に呼ぶように言わなかったのだが、係員が自分の知らんうちに警官を呼んでいた、それで警官がやって来た、そこで警官とその朝鮮人諸君との間にごたごたがあったが、区長はこの問題は自分が解決する、自分の責任において解決するから、警官も朝鮮人諸君も、余り騒がないで静かにして欲しい、お互いに静かに話合おうじゃないか、そして皆帰ってもらいたいということを区長は言ったそうです。それで区長は、今晩喰べられないという気の毒な人があったために、2000円のポケット・マネーを出してそうして朝鮮人に与えた、その日は庁内で1人の検束者を出した。ところが不幸なことに、この日数名の検束者が出たのでありますが、庁内では1人だけの検束、あとは全部庁外で検束された。それで区長は早くその検束された人達を帰してやるようにと思って、その日5時頃警察へ自身が出かけて、全部帰すように頼んだ、併し不幸にも庁内で検束された人だけが警察に残されて、ほかの者は全部その日のうちに帰されたと、区長は言っております。

それから24日になるのであります。24日にも、3つの要求を持って尋ねておるのでありますが、20日に受付けた……ここで1つ抜けましたが、その20日の日に、生活保護法の適用を16件受付けたと言っております。16件受付けて、調査の結果、9件採用したといっております。第1の要求は、生活保護法を自分が受付けたけれども、生活保護法がまだ適用されないために、それを1日も早く即刻やってもらいたいという要求と、それから市民税の減免をしてもらいたい、それから20日に検束された1人を早く釈放して欲しいということ、この3つの要求を持って参ったのであります。でこのときは、学校の子供が200名ほど、それに数10名の、30名ほどですが、大人がついて、この要求を持って行ったので、代表の3名と話をした。で、3名と話している間に、外では200名ほどの学生が歌を唱っていた。それから再三外の代表が面会を申込んで来て、最後には30名ほどが上と下で呼応して騒ぐようになったので、区長は早く引揚げるようにと言って注意をしたが、なかなかそれを聞かなかった状態で、そこへ警官が、やはり区長が呼べと言わなかったそうですが、やはり係官が連絡して、警官がそういう状態のところへ入って来た。それで区長の部屋に警官が6~7名入り込んだので、区長は命令を出して、早く皆帰るようにといって、紙へ書いて貼り出したが、退去しなかったので検束が始った。そして26~27名この日に検束された。でこの日は結局何ら話がまとまらずに、皆が話をまとめることができないで終った。そして私は、こういう状態で区長は身の危険を感じられたことがありましたかと言ったら、区長は、絶対そんなことはありません、私は区民と親しくしておりますから、そんな身の危険を感じるようなことは絶対ありませんでしたと、こういう話でありました。

それから問題になる27日になるのでありますが、27日にはほうぼうへ歎願書が出ているようであります。警察には、その24日に検束された人を帰して欲しいという歎願、又税務署には、税金を負けてくれ、区役所にも又それが来ておるのであります。区役所にはその日17名ほどやって来たそうであります。そして私たちは、朝鮮人1万名の朝鮮人を代表して区長にお願いに来た。それで24日に検束された人たちを釈放して欲しいためにお願いに来たのだ。そしてあの日は自分たちが悪かったということをはっきり区長の前に言っておるのであります。24日には自分たちが悪かったから、24日の事件を早く解決して下さい。そういう申出があったので、区長はその17名のうち15名を区役所に残し、2名を連れてそして警察へ行って、署長に面会し、その意向を述べたところが、署長もこれに対して同意を示しておった。そういう状態のときに電話がかかって来て、今区役所が襲撃されているという報告があったので、自分はあわてて区役所へ帰った。ところが待たしておった15名は区役所で静かに待っておった。そしてその15名の言うには、残しておった代表は区役所へ襲撃して来たのを見て、こういうことをしなければよいのにという意味のことを言ったそうであります。そして区長は、なお、自分はこういうことがあっても、なおこの朝鮮人諸君をよく世話をしようと思っている。面倒を見ようと思っている。そしてこういうことで国外追放というようなことが、区長、あなたは適当なことと思うかどうかという私の質問に対しまして、こういうことは日本人でもよくやることですから、こんなことで国外追放などということは無理なことではないでしょうかということを区長は述べておりました。大体当事者であった区長はこういうふうに話をしておるのであります。

そうしてなお私が最近聞いたところによると、金三億という40幾つになるのですが、検挙されておる人の釈放運動が起っておるようであります。それも神崎郡福崎町駅前に住んでいる金三億ですが、この釈放を朝連の人たちが中心になって行なっておるのでありますが、それに対しまして、その福崎町の警察署長、町長、助役、班長という人たちまでが、釈放運動の歎願書の署名をして、30名ほどが賛成をして保釈歎願書を出したそうであります。それから助役は、いつでも自分は証人に出廷するというようなことを言っていると、そういう話であります。こういうふうに、決して今度の事件をひどい騒擾罪、乱暴極まることとのみに考えてない人もあるわけであります。又警察のほうからは、その附近の人たちを一々聞きに歩いて、君たちはこの事件からどういうショックを受けたかということを聞き歩いて、それを書類にして提出しております。併し又私たちの聞いておるところによりますと、その日、神戸の騒擾で傷ついたり、警官に追われたりした朝鮮人諸君が、日本人の家やその近所の家に飛び込んで、隠してくれといって逃げ込んだときに、そこの人たちはそれを喜んで隠して逃がしてくれたそうであります。そういうことは今言うことができない。証人を、この人が隠してくれたということを言うことができないために残念でありますが、単にあのときのショックを受けて、悪いほうだけでなしに、やはり朝鮮人諸君たちにも同情しておるという市民がたくさんあるということをお知り願いたいと思うのであります、

まああの騒擾のあった27日の当日の状況におきましても、ちゃんとこういうふうに隠して区役所に歎願している、その代表が交渉に行っている留守中に学校に集った700から800名のその人たちの中に、お前たちの代表が交渉に行っているが、代表は全部検束されているぞというデマを流布して、必要以上にあの朝鮮人諸君を刺戟したということであります。これは一つの挑発、いわゆる警察側の挑発と見ることができると思うのであります。

それから朝鮮人諸君から訴えられておりますことはたくさんありますが、ここにも書類で参っておりますから、皆さんに御覧願ったらいいのでありますが、あの日、裏門も表門も全部警官によって包囲されてしまう、その包囲の中で解散を命ぜられて、それで朝鮮人諸君は、こういう包囲の中で解散されて、1人ずつ出て行けば全部検束されるにきまっておるから、自分たちはその検束を避けるためにここを脱出しようというのが彼らの申合せで、そのために手を組んで門を出たのであります。それを警官は行きすごさせて置いて、あとからそれを襲撃して、投石をしたり又あとのほうに、先頭には若い者が立ち、あとのほうに子供や婦人たちがついて脱出したのでありますが、その後ろのほうから婦人、子供を襲撃した。そのために前のほうを歩いていた若い人たちが憤慨して、引返して来て、そうして石の投げ合いや、撲り合いが、始まったのでありますが、人民というものは、決してみずから進んで暴力行為に決して出るものではありません。これは私たちが常に見るところであります。人民は弱い者であります。ですから常に防禦的な立場に立つ、これが人民の本当の姿であります。如何なるデモの場合にも、如何なるこういう集会の場合にも、それを強権を発動して、実力を発動して弾圧してかかるのは警察官諸君であります。併し人民は決してその弾圧に黙って羊のごとく屈服するものではないのであります。自分たちの身を護るために、防御的な立場からそれに反抗する、これが人民の本当の姿です。それを称して暴力革命というふうにおっしゃいますけれども、決してそうではないのです。人民はみずからを護るために、その暴力に対して抵抗すると、これがいわゆる暴力革命として伝わるところだと私は思います。決してみずから進んで暴力を振う、そういうことはないのであります。共産党が暴力革命を計画しているというようなことをよくおっしゃいますけれども、共産党はそういうことは考えてないのです。

それから話が長くなるようでありますが、地元民が非常に、地元以外の人がたくさん参加していたということにつきましてもちょっと私は申上げたいと思うのです。それはあの神戸の東神、西神の学校というものは、中学、高等学校なんです。そうすると朝鮮人の学校というものは、そうほうぼうにはありませんので、兵庫県におきましても大体、伊丹、西宮、尼崎、あの方面からあそこに通う。西のほうは姫路附近、加古川、あの附近から神戸の学校に通うわけなんです。ところが24日のときに子供や父兄が検束された、それがずっと全県下に伝わりましたために、朝鮮人諸君が心配をして、相当あの学校へ集まる、ですから県内のほうぼうの人たちが、父兄があそこに集まったということは、そういうことが原因なんであります。

それから工作隊のことに関しまして長くお述べになったようでありますが、実のところ、残念ながら私は工作隊に対する知識を持っていないのであります。先ほども述べられたことは、全部検察庁の調査によって述べられたことでありまして、私たち調査団が実際にその工作隊の人に会ってそうして聞いたことでも何でもないのであります。今の話は、検察庁の一方的な見解に過ぎないと私たち思っております。何だか話を聞いておると、厖大なる組織で、あたかも赤衛軍が建設されておるような印象を受けるのでありますが、そんなものが今日日本にできておるというようなことは到底私たち考えることができないのであります。

それからもう一つ、私は先ほど申上げるのを落した点があるのでありますが、それではなぜあの日、同じ近い日にちに名古屋から神戸までのああいう一連の動きが朝鮮人諸君の中にあったかということは、一応疑えば疑えることだと思うのでありますが、私はこういうふうに解釈するのです。あれは若しも統一された、そうして或る一つの指導によってなされたとすれば、随分まずい現われかただと私は思うのです、私はそういうのじゃない、あれは偶発的に起った、併し神戸における朝鮮人がひどい目に会っておるということが新聞に発表されるならば、恐らくその刺戟は日本全国の朝鮮人諸君が受けると思うのであります。ですから大津の朝鮮人も、又名古屋の朝鮮人諸君もその刺戟によって、ああ神戸ではこいうことをされておる。怪しからんというふうに考え、又神戸では生活保護法を今要求しておるそうだ、おれたちも苦しい立場にあるから、おれたちも要求しようじゃないか、そういうように考えることはあり得るかも知れません。私は直接朝鮮人に、どういうことでやったのかどうか聞いておりませんから、はっきりは申上げられませんが、そういう刺戟によって同じ行動がずっと広い範囲において起ったということは、一応言えるかとも思いますが、併しそれが裏面的な一つの組織を持って、一つの指導によってああいうことがなされておるということは、どうも私たちはそういう解釈はできないと思うのであります。それでこれは私は決して共産党の指導によってでもなし、又一つの統一した組織の下に準備をして計画してなされたものではない。これは大正時代の米騒動が偶発的に全国的に起ったように、やはり朝鮮人諸君の民族性と、それから生活の実態から同じような形でこの暴動が起ったものだと、そういうふうに私は考えるのであります。

それではこれはどういうふうにしたら今後なしに納まるかと申しますと、これは警察力の増強では決して解決しない問題だと思うのであります。若しも警察力を増強する費用があるならば、その費用で日本の失業者を一人でも多く救うために、朝鮮人諸君の生活を少しでも楽になるように、むしろそういう方面に金を使うことによって解決できる。警察力を何万人殖やすといえども、我々人民の生活が今日のごとくますます苦しくなって行くような状態ならば、こういう行動は常に人民の中から起って来る。共産党が昼根をして、共産党員が一人もいなくなっても、なお大正時代の米騒動のごとく、こういう行動は日本全国に起って来るということが言えると思うのであります。ですからそういうことを起さないためには、どうぞ失業者を一人でも少くなるように考えてもらいたい。そうして朝鮮人諸君といえども、戦時中本当に気の毒な目をかけた朝鮮人諸君に対しまして、贖罪的な気持からでも、朝鮮人諸君の生活を護って、保護して上げて頂きたい。そうすることによって今後こういう問題は起らない。そうして朝鮮人諸君の独立自尊の気持、独立国としての誇を傷つけないように、朝鮮人諸君には大体朝鮮語で、朝鮮の文化と将来の立派な朝鮮人を教育することのできるような自主的な学校を認める。そういう方向に日本の政治を持って行くならば、私はこの問題は再び起らないように解決のできることだ。又これ以外には解決のできないことと私は皆さんの前に意見を述べさして頂きます。

[004]
緑風会(会派) 宮城タマヨ
もう時間がございませんから、私は端折りますのでございますが、ただ時間がないだけでなく、今度の私は調査団に初めから加わることができませんで、名古屋、大津は抜きにいたしまして、漸く京都から加わったのでございますけれども、京都へ参りましたら、先ほどすでに報告がございましたように、京都に朝鮮人事件はありませんが、とんでもないというような顔をされましたくらいでございますから、これは円山事件は大層あったのでございますけれども、私ども調査いたしますその主眼の問題からは外れておりますようでございまして、結局私が加わりましたのは神戸だけでございます。

そうして今検事の論告と弁護士の弁護とがございまして、宮城さんは判事の立場だ、判事の立場だと言われまして、私も本当に白紙で何も予備知識なしに参りまして、本当に正しいことを見たいということに努めたのでございます。その結果この一覧表を作って頂きましたことも、これは皆様がたへの参考にもなりますけれども、大体は私自身の参考にしたいということも随分ございましてこういうものを作って頂きました。これによってずっと御覧になりますというと、大抵結論の出ないところ、結論の出るところというところは、おのずからわかって来ると思っておりますが、起訴されました人々が、円山事件を除きますと、185人ございます。この起訴されましたところの裁判がもう始まっておるようでございますから、おのずとこれは素人の裁判官でなしに、本当の判事が判決されるときに、事柄はやや明瞭になると思っておりますので、私の判決はここに申上げないことでございますし、時間もございませんので省きますけれども、表面に現われましたところは、もうどこまでも朝鮮人の生活権の擁護、それから学校問題、教育問題が主になっておりますので、それで問題の指導系統や、全国的の関連というところを御覧になりましても、検察庁も市警の申しておりますことも、非常にはっきりしたことを言っておりません。でございますから正式の裁判によって、一部分はわかることだと思っておりますが、ただ私が一度も出なかった問題について一つ附加えて置きたいことは、私の調査団が神戸の検察庁でいろいろ調査いたしましたときに、朝鮮人その他日本人も混りまして陳情団がございました。それで20~30分で2~3人のかたに会おうということになりまして、制限いたしましたところが、時間的にも、人数も、大変長く、大勢参りまして、そうしてもう口々に訴えられましたことなんでございますが、その中で殊に私がとてもびっくりいたしましたことは、市警などの弾圧がひどくて、そうしてその一例を挙げますと、2階から、警察が、2つ3つになるくらいな子供を、窓を破って2階から放ったということを訴えるのであります。それではその子供はおっこちてどうなったか、死んだでしょうと言うと、いいえ、死なないで生きていると言う。そのほかに警察の暴行の一つといたしまして、子供をおんぶしておる、その背中の子供を棍棒で殴ったというような、実に私ども母の立場に立っております者が、若しこれが本当であったならば、承知できんというような問題を縷々述べられましたので、どうしてもこの真相を糺さなければならないという思いで、私どもその晩、夜もう日も暮れておりましたけれども、そういう怪我人を扱ったという、あそこは長田区役所の朝鮮人町のところの、大橋と申しましたか、大橋診療所に参りましてその真相を聞きましたところが、そういうことは絶対になかったことがわかったのでございます。それでそのほかまだ随分あばら骨を棍棒で押されて2~3本折ったというような、哀れな話も訴えておりましたのでございますが、医者の話によりますというと、それらは皆うそだったのでございます。ところがそういうことから随分針小棒大に朝鮮人がいろいろなことを報告しておるなというふうな感じを受けました。

これは本当に生活に脅やかされており、長い間不遇にあります人たちのこれは常のことでもございますかも知れませんけれども、よほど私は今度の出張でああいう人たちの陳情団に会いまして、そうして見ましたことも、私たちのこの心構えに大変役に立ったというようなことを感じたことだったのでございます。併し今この同じ3人のものを見ましても、成るほど見方によって、立場によって、考え方によって、ものの見方というものは違うものだな、そうしてまあ私たちもものの見かたの違います立場におります一人といたしまて、この一つ一つに反駁したい点もございますけれども、専門の判事さんに任せることにいたしまして私はこれだけにして置きたいと思っております。

日共と在日の事件 ~ ソースは国会議事録

神奈川税務署員殉職事件      19470623
浜松事件             19480404~05
犬山事件             19480408
阪神教育事件           19480414~26
宇部事件             19481209
姫路事件             19481210
益田事件             19481225~26
平事件              19490630
下関事件             19490820
武生事件             19490920
台東会館事件           19500310・20
人民広場事件           19500530
・朝鮮戦争勃発           19500625
長田区役所襲撃事件        19501120~27
大津地方検察庁襲撃事件      19501201
円山公園事件           19501209
王子朝鮮人学校事件        19510307
浅草米兵暴行事件         19510321
東成警察署襲撃事件        19511201
練馬事件             19511226
白鳥事件             19520121
田口事件             19520203
京都事件             19520223・0320
広島事件             19520301
静岡地方裁判所事件        19520414
血のメーデー事件         19520501
京都メーデー事件         19520501
広島地裁被疑者奪回事件      19520513
大阪地方裁判所堺支部事件     19520515
吹田事件             19520625
横川元代議士襲撃事件       19520807
大村収容所事件          19521111
・朝鮮戦争休戦協定締結       19530727