2019年5月24日金曜日

昭和25年12月01日 参議院 法務委員会

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/009/0488/00912010488001a.html

[010]
日本共産党 須藤五郎
昨日衆議院における法務委員会を傍聴しまして強く感じたことなんですが、朝鮮人の問題です。衆議院においては非常に激しい言葉でやりとりをされていたと思うのですが、私は激しい言葉でなしに柔らかい言葉で御質問申上げたいと思うのですが、大体私はこれまで関西におりまして関西の朝鮮人の空気を知っておるのですが、戦時中朝鮮人は非常に日本の戦力に対しまして貢献をしたと思うのです。戦争に協力をして、恐らく朝鮮人がいなかったら日本の土木事業というものは殆んどできなかったのじゃないかというように私は考えているのです。飛行場を作るにしても殆んど朝鮮人が動員されて寒いときに水の中に入って飛行場の修理をした。又朝鮮からは強制的に引張って来られて非常に苦難な労働を強いられたということを私は戦時中この目で見ているわけなんですが、その戦時中非常に迷惑をかけた朝鮮人諸君に対しまして戦後日本がどういう償いをしたかというところに非常に問題があると思うのです。ところが戦後になりますと朝鮮人は一切日本のいわゆる普通の職域からロック・アウトをくらってしまって、普通の工場とかそういう所は朝鮮人を使わなくなってしまって、そうして朝鮮人の生活は脅かされたと思うのです。

戦時中はヤミなどをやってそういうような生活の苦しみを朝鮮人は耐え忍んでやって来たわけですが、それがだんだん困難になった。そうして最近ではいわゆる密造酒ということを朝鮮人が始める。なぜああいうことを始めるかというと、朝鮮人の職域が非常に狭められて、殆んど正しい労働に就くということが範囲が非常に狭められたというところにああいうことが起って来たのだろうと私は解釈しておるものであります。ところがその密造酒のほうもだんだんと苦しくなって来て、朝鮮人としては今日生活を立てて行く方法がなくなって来た。非常に朝鮮人の生活は最近逼迫して来ていると思うのです。そこに今度の生活保護法の要求などが強く出て来たのではないだろうかと、私はそういうふうに解釈しているものなんです。

それに対しまして警察の弾圧が度を超えたというところに私は今度のああいう大きな騒擾に至った原因があるのじゃないかと、そういうふうに私は考えているのです。これはまだ現地を見ておりませんので実情はまだわからんのです。できれば参議院の法務委員会も一度現地に行ってよく調べてみる必要があるのじゃないかと思っておるのですが、詳しいことは自分で調査しておりませんから申上げられませんが、これまでの朝鮮人の生活を見た私の観察から言いますと、そういうところに原因があるのじゃないかと思うのです。

朝鮮人は決して好んで暴力を振う人間ではないと思うのです。日本人よりもむしろおとなしいのじゃないかと思うのです。ところがなぜああいうふうなことが突発的に起ったかというと、日本人以上に朝鮮人の生活の苦しさということが結局原因しておる。これは法務総裁の権限外かもわかりませんがそこにずっと大きな原因があると思うのです。ですからこの原因を除けるように政府の方で処置しなければ何回でもああいうことが繰返されて来るのじゃないか、こういうふうに思うのです。

昨日の法務総裁の御答弁では、共産党が指導しているようなふしがあるというようなこともおっしゃっていられましたけれども、私は共産党に入ってはおりますが、今日の共産党は決して暴力を肯定しているものではないと思うのです。暴力革命を計画しているものではないと思うのです。むしろ私は共産党は暴力に屈服しないという態度をとっているのではないかと思うのです。決して暴力を肯定して積極的に暴力を振うということを言っていないと思うのです。私はこう信ずるものですから、今度の騒擾事件に共産党が積極的に暴力を振うように支持したというふうには私共にはどうしても考えられないわけですが、法務総裁はどうもそういうふうに信じていらっしゃるのじゃないかと思うのです。答弁の中から僕にはそういうふうな空気が感じられたのですが、これは法務総裁の考え間違いじゃないかと私は思うのです。

(略)

ですから神戸において最初生活保護法を申出たときに警官のやり方が少し行き過ぎたためにああいうふうに騒擾が大きくなってしまったのではないかという心配が私にはするのですよ。だからそういう点よく法務総裁の方でも気をつけて頂きたいと、私はそういうように考える。それと同時に、朝鮮人諸君の生活の安定のできるように、やはり日本としては戦時中随分朝鮮人に迷惑をかけておるのですから、今日それにお詫びをするというような気持からでも、朝鮮人の生活をもう少しよく考えてあげる必要があるのではないかと、そういうふうに私は2つの点から今度の事件を見ておるわけなのです。

(略)

[011]
法務総裁 大橋武夫
只今須藤さんからかずかずの点について御質問がございました。朝鮮人の生活が戦後非常に窮迫をいたしておる、これがいろいろな問題の種になり易い、日本の立場としてできるだけ在留朝鮮人の生活について面倒を見る必要があるのではないかという点が第1の点でございます。このことは誠に御尤もでございまして、いやしくも国内において生活することを認めます以上は、これに対してできるだけ政府としてもその生活の立ち行くような世話をしなければならんことは、これは当然であると考えております。

それから次に警察の行過ぎに対して気をつけて欲しいという点でございまして、このたびの神戸事件におきまする警察の措置につきましては、私は必ずしも行過ぎがあったというふうには聞いておりません。何となればこの事件の起りまする数日前からいろいろ小規模ながら類似の事件がございまして、これに対する警察側の措置があったわけでありまして、それに対する抗議として初めから警察に抵抗するというような気勢を示しておったのみならず、この多数の人たちが抵抗乃至暴行に用いるための手段といたしましてあらかじめ樫の棒を準備しておった。或いは割挽きを持って来るとか、或いは投石のための石を拾って準備しておったとか、或いは目潰し用の唐辛子の粉末を用意しておったとか、こういう点を見ますると集まりました群衆の側においても相当不穏な空気があったものと思いまするので、これに対して警察が解散を命じたということは当然であり、又この解散の命令に従わなかった者に対してこれを検挙するという措置に出たのも、これは実情として止むを得なかったのではなかろうかと思うわけであります。

ただ併し如何なる場合におきましても警察権の使用というものは必要の最小限度にとどめらるべきものであることは、これは申すまでもないのでございまして、私はこのたびの事件において警察が検挙の権能を発動したということは当然であると思います。併し逮捕その他に当りまして不当に容疑者を虐げるというような事態が若しあったとするならば、これは厳重に戒しめなければならんことであると考えております。

(略)

[012]
日本共産党 須藤五郎
大体今非常に御丁寧な御返事を頂いたのですが、朝鮮人の今度の問題で、最後に起った騒擾事件に朝鮮人が準備をしていたということが言われておりますが、私はなぜその準備をするような事態が到来したかというところを今お尋ねしておるわけなんです。そういう準備をさせるように仕向けた点がないか、あるかという点なんですね。私はそういうように朝鮮人が目潰しを持ったり或いは木刀を持ったりして、出かけるような状態を、その以前の小さい問題のときに警察官の行過ぎがそういう状態を作ってしまったのではないかという心配が私にあるものですから、そういう点をお尋ねしたわけです。



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